ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

出会い、三昧そして詰将棋作家

 小学校低学年の頃、覚えた将棋はその後、ほどなく趣味の範疇の外となり、長いブランクがあった。昭和40年代に入って、大学生になった私は何かクラブ活動でもしてみるかと思い立ち、たまたまルールを知っていたという動機で将棋部の門をたたいた。


 案の定、先輩から二枚落ちで軽くあしらわれた。それでもせっかくだから少し上達してみるかと思い、終盤の勉強のために詰将棋の本を求めて古書店を訪れた。棚に並んでいたのが金園社の詰将棋シリーズの13冊であった。一番、易しそうに見えたのが丸田祐三九段の「新撰詰将棋200題」であった。まず、この本を買ったことが、私の詰将棋との運命的とも云える本格的な出会いとなった。



 その後、大山名人から始まる残りの12冊は一度に求めたわけではない。私は単行本や文庫本を買ったときは、奥付に購入日と古書なら価格を書き込む習性があった。それらの記録を見ると約8カ月近くかけて全冊揃えたことになる。そういえば、古書店の店主に「こきざみに買われるんですね」と云われ、「ここは私の本棚みたいなもんですから」と冗談でかえした記憶がある。おそらく、1冊征服して(ある程度解き終えて)次を求めたのであろう。このように時間差で求めた本が全冊そろったということはある意味、奇跡に近いことかもしれない。それだけ私は詰将棋と縁が深くなる宿命だったのであろう。



 さて、最初に入手した丸田作品集のあるページをみてみよう。◎ レ ● などは解いた時に私がつけた印である。合計すると優に10回は超えている。それだけ繰り返し、繰り返し読みこんだ(反復解図)ことがうかがえる。さらに、左側に鉛筆で書き込んだメモに注目してもらいたい。「つるし桂」「金頭の桂」とある。当時より、私がいかに詰将棋の手筋を系統立てて理解しようとつとめていたかが良く分かる。 このことが後に私を詰将棋の世界で大きく躍動する礎となることは当時としては知る由もなかった。(その後、それは詰パラ誌で「詰将棋入門」の原稿執筆や詰パラ各学校の担当をする原動力になりえたのである。)当時、詰パラの存在すら知らなった私が詰パラと出会うのはそれから更に5年以上も経過した頃であった。今でこそ詰パラ誌の同人作家であるが、看寿賞など詰棋界の勲章とは常に無縁であった。へりくだって、詰将棋作家の端くれみたいな存在だが、一方では詰棋界のために何らかの貢献はしてきたとの自負はある。これからも立つ位置は変わらないであろう。


 生来、私は勝負事に向いていないというか、どちらかと云えば嫌いな方であった。それが詰将棋の持つパズル性(あるときは芸術性)に大いに魅せられて、指し将棋共々、今日まで将棋という一つの趣味を楽しんでいるのである。詰将棋あっての指し将棋という精神を守りつつ、常に指し将棋のために役立つ詰将棋とはと心掛けてきたつもりである。ブログ左上にある「詰将棋55%・指し将棋45%」というのはその辺の両者への力の入れ具合を微妙に表わしているのである。