ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

村山聖九段をしのんで

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没年月日 1998年8月8日 (満29歳没)
プロ入り 1986年11月5日 (17歳)

*1983年5級で奨励会入会してプロ入りまでの2年11カ月は谷川九段や羽生3冠をも超える異例のスピードだった。奨励会は一人立ちするまでの時間との戦いでもあるが、人生の時間と戦っていた彼にとっては単なる修羅場に過ぎなかったのであろうか。

*そして4段昇段後の12年間を将棋という街道を疾風怒濤の如く駆け抜け、逝ってしまった天才棋士である。


*彼にはあまりにも多くの逸話がある。

1989年6月15日の夜、師匠の森信雄七段のところへ出向き、「二十歳になりました」と報告した。その理由は「二十歳まで生きることができて嬉しい」ということであった。

1998年版「将棋年鑑」のプロフィールでは「今年の目標は?」との項目に「生きる」と書き残している。

1998年8月8日、臨終のまぎわ、薄れゆく意識の中で棋譜をそらんじ「・・・2七銀」が最後の言葉であった。


*人は自分自身の時間を少なく持つことによって、かえって二倍の生き方をすることがある。彼のことを折に触れ思い出すたびに、「人は如何に生きるべきか」と自分自身に問いかけられる気がするのだ。特殊の環境下にあった一人の人間の生き方として多くの将棋フアンの心の中に永遠に生き続けてほしいと切に思う。


*上記の動画の一つはNHK杯決勝戦。映像で残る彼の最後の雄姿である。下記はFMシアター「聖の青春」。