ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

透明の棋士

 「透明の棋士という本はWebでの連載記事を編纂して出来上がった本である。
時代の流れとはいえ、これは近来、歓迎すべき出版形態の一つであると思う。


 作者は報知新聞記者であり、名を北野新太という。
とんと馴染みのない著者名と映る方も多いかと思うが、ここ数年、将棋の文筆活動で頭角を現してきている方である。
その証左に、昨年の第26回将棋ペンクラブでは観戦記部門で大賞を射止めている。


 作者は大学卒業後、社会人4年目までは千駄ヶ谷に住んでいたが、その頃には将棋とは出会っていなかった。
しかし、千駄ヶ谷というキーワードがその後の彼の運命を決定づけるとは彼自身も知らなかったことであろう。
職業は「SWITCH」という雑誌の編集経験を経て、報知新聞社に入るものの、いきなり将棋専門記者になったわけではなくて、事件、政治、和題、人物、書評など幅広く取材経験を踏まれている。逆にそういった経験が将棋に出会ったときにいろんな面で功を奏しているのであろう。


 本書はWeb「みんなのミシママガジン」の連載「実録ーブンヤ日誌」中のコラムが主なものである。
本の中身より、さわりの部分を二,三紹介しよう。

<・・・何度同席しても、将棋の感想戦という特殊な空間と時間には飽きることがない。勝負の現場への臨場、時に数十万人が視線を注いだ場所をたった数人で目撃するという希少、そして訥々と聞こえてくる言語の難解を追う感覚は、他で得られることはない。・・・>

<タイトル戦とは、ひとつの祭りである。当然、戦う者にとっては大勝負なのだが、観る者にとっては慶賀すべき非日常に他ならない。始まる前は楽しみだし、始まれば心を動かされるし、終わってしまえば淋しい。番勝負を追えば、約二ヵ月間は心の片隅に高揚が息づく。好カードや白熱のシリーズならばなおのことだ。そして、素晴らしい勝負であればあるほど、閉幕後の喪失感は大きい。・・・>


 編集後記には作者の次のような言葉がある。
「いつも透明のままである。そんな思いがある。最終盤の死闘の渦中も、敗れた後の感想戦も、乾杯の夜も。私は常に、棋士としての彼、女流棋士としての彼女が透き通った存在に映る。・・・とても薄い本である。何かを伝えられたとは思っていない。ただ、17編それぞれの一瞬の中に彼らの透明の断片を見つけてもらえたらと思う。・・・・」


 最後に作者は薄い本だと謙遜されているが、この17編の文章の端端からは作者のあつい思いが伝わってくる。また、Webミシママガジンはこのブログの右上の stoneriverkiのアンテナ からアクセスすることが出来る。すると、この本には納められていない読み応えのある且つ迫力のある文章の数々に出会えるであろう。