ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

勝ち負けの宣言はなぜ敗者からか

 将棋における勝敗は負けを意識した側が「負けました」、「ありません」などと言うことによって決することはよく知られた事実である。


 スポーツ界においては、野球に審判がいて、相撲に行司がいるように勝負を宣言してくれる人がいる。将棋においても審判らしき人がいるみたいだが、それは二歩を打った打たないのトラブルや、入玉状態になったときの判定などに登場するに過ぎないのである。


 将棋の勝負の決し方を敗者の美しきマナーというよりも、勝った側が「私の勝ちだ」と宣言する決し方を推し進めていくと妙なことになりかねない。


 それは将棋というゲームが相手の玉を詰めるという究極のルールである以上、たとえ有利な局面にある者は頭金をのせるまでは「私の勝ちだ」と宣言できないし、劣勢にある方も詰まされるまではこちらから終局を宣言できない。さらに有利な側がいじわるにも、しばしの間、なぶり殺し作戦にでも出れば将棋そのものがなんともみにくいゲームになってしまいかねないのである。


 現行ルールの私が負けました(あなたの勝ちですよ)と宣言することによって、相手は100%それを受け入れて勝利者となることができる。「礼に始まって礼に終わる」という作法の導入が敗者に敗北宣言させるという一種の惨めさを軽減してくれるし、勝者には勝利の傲慢さより相手の気持ちを慮るマナーに通じているのであろう。