ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

晴れて真の詰将棋作家に(伊藤果七段)

 週刊将棋8月10日号に、この6月に現役を引退した伊藤果七段のインタビュー記事が載っていた。
その内容で詰将棋に関する部分の問答を再掲してみると、次のとおりである。

Q:一番の思い出は何でしょうか。
A:「四段になって一番最初に詰将棋の本を出していただけたことです。自分の名前で本が出るということが子供ころからの夢でしたからね。」

Q:詰将棋に夢中になったきっかけを聞かせてください。
A:「将棋は相手が必要だけど、詰将棋は相手がいらないし、勝ち負けもない。一人で出来て誰にも邪魔されない楽しい時間でね。詰将棋は最高の趣味で実益にもなる。性格的に寂しがり屋ですが、詰将棋と向き合っているときはすべてを忘れることができますから」

Q:現役は引退しましたが、今後はどのような生活を送りたいですか。
A:「ずっと将棋を続けてきましたが、できることなら詰将棋だけで生きていくのが理想でね。引退して晴れて真の詰将棋作家として今後の人生を過ごせます。長年の夢がようやくかなった思いです。」

伊藤七段の詰将棋の作風といえば、合駒である。それも中合とか、攻め駒の効き筋に打つ変則合など、私もそれらを解きながら勉強させていただいたものである。彼が四段になったのが昭和50年6月。問答にある四段になって出版した詰棋書は「残影」で野口ブックから昭和51年3月発行である。プロなり立ての棋士がまともな作品集を出せるのは大変珍しく、それまで如何に詰将棋に情熱を注いでいたかを物語っている。その後、彼の著作は10冊近くあるが、後年特に印象が深いのは「詰のオルゴール」と「王様殺人事件」でこの2冊は読み物としても楽しめる。

 問答の最後にある「・・・詰将棋だけで生きていくのが・・・」のくだりは、生活の糧という意味ではなくて、純粋に詰将棋に打ち込めると云う心境を素直に表現したのであろう。15歳の頃から詰将棋の創作に染まり、当時、上田吉一氏と若島正氏とともに「京都三羽ガラス」とも評価された時代があった。今後は、本名でも良いし、破天荒・影男などの筆名でも良いので、再び詰将棋パラダイスで作品を見たいものである。最後に、彼の数ある作品のなかから詰パラに発表された処女作を紹介したい。飛合が二度出てくる29手詰である。