ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

詰パラ小学校・39年間の歩み

はじめに 
 私は昭和47年1月からの詰パラ会員で、これまで5回の転居にもかかわらず一冊も紛失することなく、39年分の詰パラ誌が手元にある。
 昨年から担当業務を再び始めたが、この小学校には39年間にどういう作家が関わりを持ってきたかという点などに、興味が湧いたので分析をしてみました。

歴代担当者 
 小学校の歴代担当者は下記のとおりです。
 昭和46・1〜47・11 楡考一郎  48・1〜48・11 深井一伸  49・1〜50・3 中村祥通  50・4〜50・11 小西真人  51・1〜51・11 鈴木亨
 昭和52・1〜52・5 石田誠治  52・7〜53・11 田中徹   54・1〜54・11 平井康雄  55・1〜55・11 山の畑   56・1〜57・11 塩沢邪風 
 昭和58・1〜58・5 谷口昇一  58・7〜60・5 柳原裕司  60・7〜61・11 須田緑星  62・1〜63・11 秋元節三 平成元・1〜2・11須田緑星
 平成3・1〜4・5 須藤大輔  4・7〜6・11 大西真   7・1〜9・11 吉田和則  10・1〜20・11 八尋久晴  21・1〜至現在 石川和彦
 八尋氏が突出して11年間務められたものの、他は1〜2年以内で目まぐるしく変わっている。私が個人的に印象に残っている方は昭和56年、57年の2年間、務められた塩沢氏である。どこか、文学的な香りがして、いわゆる読ませる解説を書かれた方である。
 詰パラ創始者・故鶴田諸兄氏は詰将棋に情熱ある者、すべて拒まずという感じで、担当業務を始めとして、いろんな面で門戸開放されていた。このため、幾多の詰キストが若いころより、パラ編集業務を通して今日まできたことが、現在の詰パラをある面で支えているのではないかとみています。

出題された総作品 
 出題作品数は休刊などの理由で出題されなかった月と臨時小学校を開催した月との相殺後、この39年間で延べ387カ月分となる。月5題なので、1935作品が全作品となる。これらの作品は実質460人が作り上げたものである。作品数が多い作者のベスト20をあげると下記のようになる。
 39作品:YYZ   38作品:岡田敏、野村量、橋本守正   36作品:行き詰まり   35作品:中出慶一   33作品:山田康平
 29作品:木村透   27作品:三宅英治、吉田健   26作品:石川和彦   25作品:大和敏雄   24作品:呉一郎   
 23作品:小泉潔、原田清実、畠山広吉   22作品:塩見倫生   21作品:内山真、山田康一   20作品:長谷川哲久
複数のペンネームを持ったいわゆる塩見一族がトータルで100作を超える。また、その時代を支えた作家の方が浮かび上がり、時の流れを再認識しました。

本日の詰将棋:5手詰