ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

物語を紡ぐ

小説の作法には二通りあるらしい。
一つはストーリーの大枠をもとに、登場人物を決める。そして、その人物が勝手に?動き出して物語が展開していく。もう一つは物語の収束部分まできちんと決めた上でシナリオ通りに書き進めていく。

瀬戸内寂聴さんは自らを前者のタイプだと言い、後者は頭の良い人が取る方法だみたいなことを言っていた。頭の善し悪しはさておいて、私の好きな女性作家で云えば小池真理子さんが前者のタイプで、川上未映子さんが後者のタイプだ(と本人が言っている)。

小池さんの場合、彼女の言葉を借りれば、「私の中で何かがのそりと小さな音を立てて蠢く」「神が降りた」「ふいに何かが弾ける」「小説を書くという行為は即興演奏のようなもの」などと表現されている。自分が創造した登場人物たちのまぼろしを感じつつ、書かれたのが直木賞を受賞した『恋』という作品でもある。

川上さんの場合、作家デビユーしてまだ年数が浅いので作風は変化するかもしれないが、言葉の表現力が魅力である。使用される言葉の一つ一つは難しくないのだが、それがセンテンスとなって現れた時に躍動する。思わず、「ワア、すごいな」という感じになるのだ。彼女のブログ「純粋悲性批判」から、少し紹介してみたい。
 著者としてはなんとも途方に暮れておりますところで、暮れに暮れきって顔が夜になってるところ。& 北斎のこと思ったら、「何かを作って生きている人間は死なない程度に今日がなにもかもの初めての日という気持ちでがんばろう」って気持ちになりますやん。・・・という風な感じですが、みなさんどうですか。
 このような言葉の使い方は将棋でいうズバリ「駒の魔術師」という印象なのだ。

ところで、詰将棋の創作法には大きく分けて二通りある。正算式と逆算式である。
前者は駒の特性を活かしつつ、小説で云う物語を紡ぎあげること、後者は一口でいうと職人芸の技である。
私は一応両方こなせるが、長編作家ではない。
おそらく長編の数々の名作は二つの作法に加えて、漠然としているが一種の才能というプラスアルファーがなければなしえないようにいつも感じている。

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本日の詰将棋:43手詰