ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

とび将棋

 明治の文豪に幸田露伴という人がいた。将棋にさしたる興味がなかった高校時代は将棋好きであったという露伴の作品そのものは読んだことはなかった。あの頃は幸田露伴といえば「五重塔」ということを知っていれば、国文学史の試験対策として充分だったのである。


 その露伴の娘が幸田文である。その長女が青木玉で、そのまた長女が青木奈緒である。いずれも文筆家である。
文才というものはかくも確実に引き継がれていくものであろうか。彼女等の文章を読むにつけ、その事実には驚くばかりである。


 特に幸田文は実に筆が立つ、思わず声を出して読みたくなるような文章も多い。随筆の数々にそれを多く感じる。もし、貴方の好きな随筆家を3人あげよと云われたら、まず幸田文須賀敦子の二人をあげたい。3人目は誰かと問われたら困るが、少なくともこの二人は小説という分野ではなく、随筆の分野で確固たる実績を残してくれたと思えるからである。


 さて、標題の「とび将棋」は講談社文庫の幸田文「月の塵」におさめられている一文である。彼女が小さい頃、父が将棋の駒で子供たちと遊んでくれた思い出を語っている。将棋を御存じの方なら察しがつくであろう、とび将棋とは金4枚を振って、将棋盤の4つの周辺を歩からスタートして廻っていく遊びである(廻り将棋ともいうかな)。


 とくに書き出しの数行が露伴と将棋の関わりがよく理解できるので紹介したい。
<将棋が、亡父露伴は好きだった。書いたものも二,三あるし、もちろん盤にむかうのは好きだった。小野五平先生のお宅へは、時折うかがってお教え願っていたし、先生ご逝去のあとは、木村義雄氏にさしていただいた。また、古い棋譜をみて、勉強だか、たのしみだか、とにかく飽かずひとりで駒をうごかしていることもあり、時には近所の老人をよんで興じていたこともあり、盤にむかっている父の姿は、いまも私の心に残っている。・・・・・>