ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

詰将棋全国大会

梅雨明け間近のこの季節ほど、人間を一喜一憂させるものはない。
台風に見舞われたこともあったし、大雨で新幹線ダイヤが乱れまくったこともあった。いつの年か、大雨続く九州を後ろ髪引かれる思いで出発したこともあった。今年はどうだろう。行きも帰りも好天に恵まれた。こういう年があってもいいだろう。
 このイベントは7月の固定された開催日が続く。1年の計画もたてやすく、だからこそ少々無理しても全国から同好の士が集まるのだろう。詰キストは詰パラの新年号を手にするときには特別の感慨が湧くものだ。それは「今年もやるぞ詰将棋」という思いが自然に立つ。7月の旅はそれを再確認する場でもあるのだ。少なくとも、これまでの私にとってはそうだった。


 そういった第32回詰将棋全国大会が岡山県倉敷市で7月17日に開催された。
詰将棋全国大会とは名古屋、東京、大阪、その他(地方)の4年サイクルで各地で開催される詰将棋フアンの祭典である。
 運営にあたっては彼の地での詰将棋愛好家がいかほど存在するかがポイントになる。名古屋、東京、大阪の場合はさほど心配はないし、イベント当日での参加者もある程度の集客力が望めるのでなんら心配はない。
 その点、地方開催の場合は思わぬ苦労がある。
九州開催も過去2回(福岡)あったが、九州内に散在するという表現がぴったりの詰将棋愛好家の運営スタッフ集めに苦労した思い出がある。一方、地方開催地へ参加する立場では思わぬ楽しみがある。
 私は4年前の長野県松本市での出席が印象に残っている。
初めて訪れた長野県。名古屋から列車に乗って、旧くは「千曲川スケッチ」の島崎藤村を、新しくは「ダイヤモンドダスト」の南木佳士さんの作品の数々を想い浮かべながら、沿線の景色をものめずらしく眺めていたものである。松本についてからは、「松本城」の歴史ある雄姿に感激したものである。このように地方開催は観光も兼ねられるということがあり、初めて訪れるなら、なおさらの感がある。


 さて、今回の倉敷市。よく行く「関西方面の旅」では、通り過ぎるだけの山陽本線の新幹線駅の岡山だが、倉敷は意外とよく訪れたことがある街である。それは毎年、11月に開催される倉敷籐花戦の公開対局である。会場の倉敷芸文館の近くには「大山名人記念館」がある。さすが大名人を生んだ地だけあって首長以下将棋に対する理解が違う。同じことが、この山陽沿線下の加古川市にもいえる。プロ棋士を数多く誕生させたこの地は「加古川青流戦」の創設をはじめ、定期的に将棋イベントを実施している。まことにうらやましい限りで、ふるさと納税をして応援したいようなそんな気持ちもしてくる。


 つぎに、大会参加の感想である。
まず、地方開催での参加者数がどのくらいか気になるところだが、百名を超える人が集まってくれた(108人)。
また、例年、自発的に参加されているプロ棋士が散見されるところだが、今年は5名の方がいらっしゃった(谷川浩司九段、浦野真彦八段、北浜健介八段、船江恒平五段、山根ことみ女流初段)。やはりプロが入ると華やぎの感じがして大変ありがたいことである。
 前半の看寿賞作品の解説と後半の詰将棋早解き競争がイベントの二本柱である。
特に、後者は毎年、開催場所により若干の進行の趣向は変われども、全員参加の楽しいゲームである。
詰キストの過去の栄光?に関係なく、最近における詰将棋への取り組み方(特に解図)の熱心さがものをいうようだ。多分、そうだろう。

 ところで、私は詰パラの同人作家となり、詰パラの担当を十数年にわたり経験し、拙作品集も2冊出版した。
なんとなく、将棋人生のある程度の目標を果たしたという、いわゆる「達成感」に浸っているので、今では詰パラも読むだけの会員になってしまった感がある。
 もし、詰将棋を作り、発表し、解答もバリバリするということであれば、このイベントはもっと充実したものであったに違いない。
 今の私は看寿賞の作品紹介を通して、時代の最先端を行く詰将棋作品の確認と旧くからの交流がある詰キストたちとの再会・歓談が楽しみの一つとなってしまったようだ。これらのことだけでも、来た甲斐があったと思う。

 その夜の懇親会が本格的な交流の場である。百人もいればすべての方と言葉を交わすのは困難であるが、あの人、この人と目で確認できるだけでも一種の安らぎと安心感を覚えるものである。2時間の立食パーテイもあっという間に過ぎ去った。
 詰将棋ともっと、もっとかかわりを持たなくてはという奮い立つような感動をもらいながら、来年開催の名古屋にも元気で参加したいものだと正直に思った。