かって、文壇で太宰治が志賀直哉に喧嘩を売ったような文章があった。
その一例を示すと、「或る雑誌の座談会の速記録を読んでいたら、志賀直哉というのが、妙に私の悪口を言っていたので、さすがにむっとなり、この雑誌の先月号の小論に、附記みたいにして、こちらも大いに口汚く言い返してやったが、あれだけではまだ自分も言い足りないような気がしていた。いったい、あれは、何だってあんなにえばったものの言い方をしているのか。普通の小説というものが、将棋だとするならば、あいつの書くものなどは、詰将棋である。王手、王手で、そうして詰むにきまっている将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵もない。・・・・」というのが批判の一端である。
例えに使われた「詰将棋」としては、甚だ迷惑な話しだが、その傑出した批判文集が収録されているエッセーは太宰治著「もの思う葦」新潮文庫なり。
本日の詰将棋:13手詰