ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

詰将棋全国大会参加記

 長野県松本市での全国大会の1週間前頃から九州北部はTVなどで述べられていたが、これまで経験したことがないような(はじめて聞く表現)集中豪雨に見舞われていた。
 このような状態では旅立つ日にJRが不通になるかも知れないと思い、3日前にまずは大阪へ向けて出発した。家族の心配(私に対してではなく雨の降り方)をよそに出かけたものだから、7月13日のツイッターでの、あのツイート(なぜ、この全国大会は梅雨末期にあるのか等)となった。看寿賞の発表の時期や3連休という条件などから開催時期を変更することは困難であると分かっていながら、ついあのようなつぶやきをせざるを得なかったあの週の私があったのである。

 14日(土)はまず、大阪から名古屋へ新幹線で行った。次に、名古屋から特急「しなの」に乗る。名古屋から松本までは約2時間。これは九州で云うと長崎〜博多間を特急「かもめ」に乗る感じである。どの時間帯の列車に乗るかはっきり決めていなかったので自由席の特急券を買っていた。土曜日ということもあり、これが思わぬ誤算だった。大阪始発のこの列車は名古屋から自由車両に座ることができなかった。松本までの行程の約4分の3を立ちずくめだったので少々疲れ果てた。(後日談だが、どうやらこの列車のほとんどは名古屋発で、数少ない一つの大阪発に乗ったのがどうやら不運だった。これぞ、後の祭り。旅慣れ人の不覚の手順前後。)

 午後1時頃過ぎ、松本駅に到着。改札を出てまず、とても目立つ空間に「歓迎・第28回詰将棋全国大会」のりっぱな看板が出ていたことにとても感激した。やはり、地元のコンベンション協会の協賛を得ることは大切なのだと実行委員会のご尽力に一言あっぱれである。
 ホテルに手荷物を預けてまずは松本城へ行く。よく、地方を旅して、彼の地に城あればかならず見学してきたが、この松本城は私が見た範囲で少し変わっていたというか、見学者をある種、足腰が不自由な人や高齢者を疲れさせることにもなりかねない。それは狭い急な階段をとにかくよく昇らされたし、降りる際も踏み外さない、すべらないなど注意が必要だった。400年余の風雪に耐えて・・・というぐらいだから、戦災に遭遇しなかったのか定かではないが、五重天守閣など、名城であることには違いなかった。

 さて、翌15日(日)大会本番。12時ごろ、会場へ到着すると1階ロビーで浦野真彦七段とばったり出会う。後ほど、浦野先生とは詰将棋解答選手権でこれまでの要望というか疑問に思っていることを二、三申し上げてご意見を伺った。他のプロ棋士の参加は勝浦修九段が一詰将棋愛好者として参加されていた。書籍コーナーで「この詰将棋がすごい!2012版」と「赤羽守氏作品集」を購入した。会場内では1年ぶりにお会いする方々がほとんどで、その都度短い会話とともに挨拶を交わした。
 大会が始まるとメインの看寿賞発表では作品内容の紹介・作者への表彰などが行われ、後半は全員参加による詰将棋早解き競技が開催される。ここで、決勝に進出したのが小学4年生の藤井聡太君と高校1年生の宮原航君。藤井君が優勝したが、この現象に会場の私を含め、常連の参加者は驚きを隠せないほどだった。詰将棋という独特の世界へ若手が胎動してきたことは実は誠に喜ばしい限りである。最後の全員参加による記念撮影まで午後のひと時はあっという間に過ぎ去った。午後6時からの懇親会もおおいに盛り上がったことは云うまでもない。

 翌16日(月)、松本から特急「しなの」で北へ向かって1時間、長野市へ行った。松本に限らず、長野県そのものが実は私にとって初めて訪れる土地なのである。長野と云えば、若いころ読んだ島崎藤村の「千曲川のスケッチ」のイメージが漠然とある。当然、あの頃の時代背景とは格段の違いもあり、県内各地はそれぞれの部分で今日の発展を築きあげてきたに相違ない。そういった思いを胸に、善光寺などを訪れて、17日(火)に家路についた。

 最後に、詰将棋全国大会の効用は「詰将棋作家はもっと良い作品を作らなくてはと心を新たにし、解図を楽しんでいる人はこれからも素晴らしい作品に巡り会いたいと思い、紛れ込んだ指し将棋派の人はこんな芸術的な世界があったのかと詰将棋の世界を再発見する」そのような大会である。それでなければ、30年近くも、このイベントが続くはずがない。来年は名古屋でそういった仲間とともに、詰将棋の夢と希望を語り合いたいものである。