ストンリバーの日記

「詰将棋パラダイス」同人作家が語る将棋一般ブログ

森内俊之名人

日経ビジネスに「Associe」という隔週おきに発行されている雑誌があり、私はそれを定期購読している。その10月4日号にインタビューを土台にした森内名人の記事が載っていた。羽生2冠に1年半遅れて4段になり、ライバルの輝かしい実績を横目に腐らず、心を鍛えながらライバルを追い続けてついに名人という棋界の頂点へたったプロセスがその記事の主な内容である。
 
 その記事を抜粋すると次のとおりである。

 ・・・ライバルの大活躍を横目に、20代の森内は「友がみな我より偉く見ゆる日よ・・・」という石川啄木の歌のような心境の日々を送ってきたはずだ。しかし、このような状況でも焦りも腐りもしなかったのが森内のすごさである。大きく開いた羽生との差を一気に詰めようとすれば、息切れしてしまう。森内は自分のペースを守りつつも羽生とのレースを諦めてはいなかった。1センチ、いや、1ミリずつでも差が縮まるように努力し、コツコツと弱点を克服していった。
 技術の向上はもちろんのこと、森内が重視したのが<心の未熟さ>を克服することだった。対局中に起こる感情の起伏は集中力を低下させ、読みの妨げとなる。それに気づいてからは、平常心を保つべく、感情のコントロールに努めた。また、勝つこと、勝負にこだわることから心を解き放つことも意識するようになった。
 「子供の頃から将棋で一番強くなりたい、競争相手に勝ちたいと思い続けてきました」。勝ちたいと思うこと自体は、上達のための原動力になる。しかし力が入りすぎると速く走れなかったり、ボールを遠くに飛ばせなかったりするのと同じで、勝ちを意識し過ぎるとフオームの滑らかさが失われる。
 「将棋だけが人生じゃないと思って盤の前に座れるようになった時、自然体で自分の将棋が指せるようになった気がしました。」そんな姿勢でのぞむようになったことで、森内の努力が結実の時を迎える。2002年に初のタイトルとなる名人位を奪取。その後も羽生とタイトルを取ったり取られたりの熾烈な争いを繰り広げ、2007年には通算5期となる名人を獲得。羽生に先んじて「18世名人」という永世称号を得た。
 今年の名人戦もまた、羽生との戦いとなった。森内は初戦から3連勝するという望外のスタートを切ったが、第4局から3連敗。一時の楽観ムードは木っ端みじんに吹き飛び、勝負は最終局に持ち込まれた。誰の目にも勝負の流れは後から追い付いた羽生に傾いているように見えた。しかし森内は、焦りや危機感を感じていなかったようである。「最終局を指せること自体がありがたいと考えて勝負に臨みました。」と森内は振り返る。
 名人というタイトルがかかった大一番にもかかわらず、森内は無欲で盤上に集中し最終局に競り勝った。それは心を制御する力を身に付けたからこそ成せた偉業だったとも言えるのではないか。・・・

 さて、この記事の内容で注目したのが「将棋だけが人生じゃない・・」のくだりである。アマチュアならいざしらず、プロの口からこういった表現が出るとは意外であった。まあ、将棋に限らず、プロ野球の世界に入っても、即ち、どんなに好きな道に入ってそれを生業にしても、壁にぶち当たったら自分自身がいやになることもあるであろう。こういうのを経済学の用語で「限界効用逓減の法則」とも云う。私など、将棋を趣味としてきたが有段者の階段を上りつつ壁に当たると将棋を指すことがいやになることはあっても、詰将棋だけはそれがなかった。これは詰将棋の世界をいまだ極めていないということであろう。